ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

私は、雇用を終わらせるべきであると言いたい。

はてなブックマークの人気記事に面白い文章がありました。最近、はてなでは野宿者の図書館利用について議論が交わされており、そのなかからでてきた文章のようです。都内の図書館で女性専用シートが設置されだしているというニュースが議論のきっかけだったと思います。

この文章ではボブ・ブラック著「労働廃絶論」に書かれた「リベラル派は、雇用差別を終わらせるべきであると言う。私は、雇用を終わらせるべきであると言いたい」という言葉が紹介されていました。

◉まあ、皆ほんとに労働しない(と思われている)人嫌いだよね (ざるどらにっき)
http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20080910/1221016187


私は先週から日本語会話の先生になりましたが、それまでの4ヶ月無職でした。私は決して働くのが嫌いなわけではありません。しかし、日本で働くことはどうにも無理なように感じていました。本来の仕事以外のことで、エネルギーを消耗させられることがあまりにも多いからです。簡単に言えば、人間関係的なことです。「そんなのみんな我慢してるだろう!」と言われるかも知れません。それくらい、日本では当たり前にあることだったりします。ですから、それは職を替えてもつきまとうことでしょう。というわけで、思い切ってハノイに来てみました。

ハノイにおいて多くの日本人は「ベトナム人はなまけている」と言います。例えば、レストランに行くとウエイトレスやウエイターがやたら多くいるのですが、誰ひとり自ら動こうとしません。大声で呼ぶまで動こうとしないのです。「こいつらはなんのためにそこにいるのか?」とみな腹を立てます。私も最初は怒っていました。しかし、自分が働く側だったらどうでしょう? なかなかいい職場じゃないですか。

私は日本に息苦しさを感じてハノイに来たわけですから、それもありだと考えるようになりました。ハノイを日本のようにしたいわけではありませんから(しかし、これはあくまでベトナム・ドンで表示されているレストランの場合です。米ドル表示で高い料金を取っているお店ではそれは許されません。しっかり、サービスしてもらいたいものです)。


なにが書きたいかわからなくなってきました。寝ます。


『1998年に発行されたこの本(今村仁司著・近代の労働観)という本で、今村さんは、「労働は大事だ」という考え方があたりまえになったのはそんなに昔のことではなく、その考えは、たった300年か400年前のヨーロッパで生まれて世界にひろまっていったものでしかない、ということを教えてくれます。近代以前においては、多くの社会で、「忙しく働く」ということは「悪いこと」であり、「ぶらぶらしている」「なにもしない」ということは、むしろ「いいこと」である、という価値観は、普通のことであったのです』