ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

SMAP をなめんなよ! 第1回

このところの嵐の活躍は素晴らしいものがあります。だからと言って、もうSMAP の時代じゃないなんて言う人がいたら、それは間違いだと言わねばなりません。SMAP はいまでもジャニーズになくてはならない存在だからです。いくらいまの嵐に人気があっても、SMAP の人気が急落したらジャニーズ王国の勢いは萎んでしまうと私は思っています。「そんなバカな!」と思うでしょうか? 実のところ、ジャニーズは絶頂期からの急落をこれまでに2回も経験しているのです。簡単にジャニーズのこれまでを振り返ってみましょう。


1972年、ジャニーズ、フォーリーブス、に続きデビューし、業界内にジャニーズ事務所の存在を知らしめたのが郷ひろみです。案外知らない人も多いようですが、郷ひろみジャニーズ事務所のアイドルだったのです。デビュー曲「男の子女の子」、「裸のビーナス」、「花とみつばち」、そして、初のNo.1ヒット「よろしく哀愁」などなど、郷はヒットを飛ばし続けていました。そんな1975年、彼は人気の絶頂期にありながら、他の事務所に引き抜かれてしまったのです。しかも、この高速回転で踊っている人たちも一緒にです。


まだ、それほど大きかったわけでもないジャニーズ事務所にとって、この事件の衝撃はとてつもなく大きなものでした。そして、そのあと川崎麻世の小さなヒットはあったものの、ジャニーズにとって厳しい時代が続きました。結局、「郷ひろみ引き抜き事件」のショックは、80年のたのきん田原俊彦野村義男近藤真彦)デビューまで続きました。これがジャニーズにとって最初の冬の時代です。


80年代、ジャニーズ事務所の快進撃は続きました。たのきんの大ブーム、つぎにシブがき隊、少年隊とジャニーズ事務所の新しいアイドルがデビュー。それぞれがヒット曲を連発し、ジャニーズ事務所は70年代とは比べものにならない程の大成功を収めました。そして、成功はそれだけに留まらなかったのです。


ジャニーズ事務所にとっての大成功はまだ先にありました。87年にデビューした光ゲンジの大ブームです。続いて男闘呼組、忍者もデビューしています。そして、近藤真彦も、田原俊彦も健在でした。誰もがジャニーズ事務所の永遠の繁栄を信じていた時代でした。


しかし、90年代に入ると、光ゲンジの人気に陰りが見え始めました。それは彼らがデビューしてから3年しか経っていない時でした。ですが、それがブームの起こった期間と考えれば決して短くはありません。例えば、ピンクレディーのブームも2年半でした。

のきんから光ゲンジまで、ジャニーズは快進撃を続けました。いま程ではないにしても、ジャニーズの人気が陰ることなどだれも想像できない、当時はそんな状況だったはずです。ですが、それは起こってしまいました。ジャニーズにとって2度目の冬はSMAPのデビューとともにやってきたのです。


91年9月SMAP は「Can't Stop!! -Loving-」でデビューします。しかし、ジャニーズ・アイドルのデビューシングルとしては、あまりにも少ないセールス(15万枚)だったのです。(つづく)