ハノイの日本人

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SMAP をなめんなよ! 第5回

前回、嵐のライブの素晴らしさについて書いたのですが、そのとき嵐には代表曲がないと書きました。そのあと、ジャニーズファンの友達から、「love so sweet 」が代表曲だと思っていたというメールをもらいました。たしかに、嵐にも代表曲と呼ぶにふさわしいヒット曲があります。普通のグループであるのなら、「love so sweet 」は代表曲でいいはずです。ですが私が言うのは、国民的スターにふさわしい代表曲という意味です。嵐がSMAP と比較されるなら、当然、嵐にもそれなりの代表曲が必要なはずです。


SMAP で言えば、「がんばりましょう」「らいおんハート」「世界に一つの花」が代表曲です。他の「SHAKE 」「ダイナマイト」「夜空ノムコウ」などは、例え人気曲であったとしても、代表曲とは言えないと思っているのです。なぜならば、前の3曲にあるような社会との関わりがないからです。順番に発売された頃の時代背景を説明して行きましょう。まず、「がんばりましょう」から。


バブル経済の崩壊が深刻に受け止められるようになったのは、1993年あたりからでした。90年から日経平均株価は下がっていましたが、最初の数年は「そのうち持ち直すだろう」と楽観視されていたのです。ところが、不景気は深刻化して行きました。そして、1994年末には「就職氷河期」が流行語大賞を受賞します。その中で発売されたのがSMAP 最初の代表曲「がんばりましょう」(94年9月発売)です。「♪ かっこいいゴールなんてさ あッとゆーまにおしまい」「♪ 東京タワーで昔 見かけたみやげ物に はりついてた言葉は『努力』と『根性』」「♪ 仕事だからとりあえずがんばりまーしょう」という歌詞がありました。



凄いですね。「努力」と「根性」で報われる時代は終わったと歌われています。高度経済成長時代に働いてきた人たちには、理解できない価値観だったかも知れません。でも、いま振り返って観れば、誰もが頷くしかないことでしょう。オイルショックが終わってからずっと右肩上がりで成長して来た日本経済。その終わりを告知したのがSMAP の「がんばりましょう」でした。


次に、スター木村拓哉が結婚したときに発表された「らいおんハート」です。すでに国民的スターとなっていたSMAP 。その中でも一番人気のある木村拓哉の結婚発表を前にして発売されたシングルです。ファンの人たちのブログを見ながら、以下のような簡単な「木村拓哉年表」を作ってみました。


1991年9月 シングル「Can’t Stop!! –LOVING 」でSMAP デビュー
1993年10月 フジテレビドラマ「あすなろ白書」の取手治役で注目される
1994年5月 女性週刊誌「微笑(祥伝社)」に彼女がいることをスクープされる
1994年9月 シングル「がんばりましょう」でSMAP 大ブレイク
1994年9月 ベストジーニスト受賞
1994年10月 フジテレビドラマ「若者のすべて」に出演
1994年12月 雑誌「anan(マガジンハウス)」の「好きな男」ランキング1位
1998年3月 カオリンとの同棲生活スタート
1999年7月 女性週刊誌「女性セブン(小学館)」がカオリンとの破局を報道
1999年8月 FAX でカオリンとの破局を報告
1999年9月 写真週刊誌「FRIDAY(講談社)」に工藤静香の実家で生活する木村の報道
2000年8月 シングル「らいおんハート」発売
2000年11月 工藤静香と入籍することを発表、12月に入籍


注目したいのは、彼女の存在がスクープされた後にSMAP が大ブレイクしていることです。ですから、「ファンになったときには、すでに木村くんには彼女がいた」という人も多かったようです。最初に「微笑」にスクープされたときには、木村本人がインタビューに応えて、「友達のひとり」と言ったようですが、その後はその存在を隠さなかったようです。「彼女もいる普通の大人の男」、それが「光GENJIバブル」崩壊以降、ずっと苦しんできたジャニーズが提示した新しいアイドル像でした。当時の木村は「ナチュラル」という言葉でそれを表現していたように思います。


アイドルにとって一番の難関は大人になることです。それはこれまで幾多のアイドルが苦しんできたことです。山口百恵は結婚と同時に引退しました。松田聖子は有名芸能人と結婚することでタレント生命を守りました。「木村拓哉は結婚できないのではないか?」と考えた人も多かったようです。しかし、「普通の大人の男」であるなら、(テレビ的価値観で行けば)いつかは結婚しなければなりません。20代後半になっていた木村拓哉にもそのときが近づいていました。


年表を見ただけでも、相当作戦が練られたことが感じられます。結婚の相手は、アイドルから脱皮し歌手としてヒット曲をだしながらも、その先が見えづらかった工藤静香でした。入籍の2ヶ月前に「らいおんハート」は発表されています。大スター木村拓哉の結婚です。この曲は日本中に流れまくりました。


♪ 君を守るため そのために生まれてきたんだ
あきれるほどに そうさ そばにいてあげる
  眠った横顔 震えるこの胸 Lion Heart


作曲・編曲はSMAP で数々のヒット曲を生み出したコモリタミノルですが、作詞はなぜか初心者の野島伸司でした。しかし、野島がドラマのために歌わせたことにすれば、いろいろ都合がよかったのかも知れません。木村拓哉が上の歌詞を歌っているという以外に、なにも感想がでてきません。普通のいい曲です。それより、そのCDにカップリングとして収められた「オレンジ」に驚きました。以下の歌詞を見てください。作詞・作曲は市川喜康(ガンバファンらしいですw)。国民的スターにふさわしい名曲です。


♪ 人波のなかで いつの日にか偶然に
  出会える日が来るのなら その日まで
  「さよなら。」僕を今日まで 支え続けてくれたひと
  「さよなら。」今でも誰より たいせつだと想えるひと



事もあろうに、結婚発表を前にして「さよなら。」です。SMAP はこれからも活動するのにですよ。驚きますよね? 木村拓哉はこの歌を別れた彼女に向けて歌ったのでしょうか? それとも、ファンに向けて歌ったのでしょうか? たぶん、両方なのでしょう。そして、ファンは木村拓哉の別れた彼女と自分とをダブらせたのではなかったでしょうか? 見事な離れ業を決めたと言ったら、ファンの方々に失礼ですよね。それでも、SMAP木村拓哉の結婚という大プロジェクトを成功させたのです。SMAP はいまでも大人でありながら、アイドルであり続けています。前人未踏の領域です。それは木村拓哉の結婚をもって到達したのでした。ストーンズのように、老人になってもライブをして欲しいですね。そのときなら、私もライブのチケットが買えるかな。(つづく)