ハノイの日本人

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人生にとって無駄なものってなんですか?

TBS ラジオ『宇多丸のウィークエンド・シャッフル』では、ポッドキャストで本放送が終わってからのダベリを「放課後DA話」として聞くことができます(最近は不定期です)。今回の「放課後DA話」では、ゲストの小島慶子アナウンサー、町山智浩さんも参加して「子供の性教育」についてバトルトークが展開されていました。おもしろかったです。


宇多丸のウィークエンド・シャッフル
http://www.tbsradio.jp/utamaru/index.html


「子育て感」って、もしかしたら女性と一番話しにくいテーマかも知れませんね。この「放課後DA話」も、小島さんと町山さんの「子育て感」の違いで、微妙な緊張感が漂っていました。よかったです。「無駄に苦しませてはいけない」と考え、先回りして6歳の男の子に性教育をほどこしていく小島さん。それに対して、母親とセックスの話はしたくない、「自己決定の余地をつくるべきでは?」という町山さん、といった感じでした。


私も男なので、小島さんの考え方より、町山さんの考え方に同調するわけです。宮台真司さんも、以前、母親が子供に構い過ぎるとロクなことがないと言われていました。まあ、これは男側の言い分なのかも知れないですね。それはいいです。小島さんの発言でひっかかった言葉が別にあります。これは小島さんの発言を聞く前から疑問に思っていたことでもあります。ある種の女性は「人生にとって無駄な物」が厳然とある、そのように考えているようなのです。これまでに何度かそういう場面に出くわしました。


いや、自分のなかでは、「これはムダだ」「これは重要だ」という判断はあります。でも、「これは重要だ」と私が考えることでも、他の人から見れば「それはムダでしょう?」と思われることだってたくさんあるでしょう。それは仕方のないことです。考え方の違いはそれぞれにあるでしょうから。でも、そういうことではないのです。「常識」のようなものとして、「人生にとって無駄な物がある」と考えている人がいるんです。そして、「無駄を排除してまでもやらなければならないことがある」と考えているようなんです。それはなんなのでしょう? 突き詰めると「ステイタス」的なこと? わからないです。


もし、人生にこうあるべきという道筋があるとして、それは10年後にも有効な道筋なんでしょうか? 「常識」なんて、10年もあれば変わりますよ。例えば、10年前の「喫煙」に対する考え方と、いまとでは全然違ってきましたよね。「常識って変わるんだ」と知りましたよね。中国の発展だってそうです。想像をはるかに超えています。でも、それでも厳然と変わらないものがある。そうかも知れません。彼女たちの「無駄じゃないもの」についての話を聞いてみたいですね。


宇多丸さんは、草なぎくんの事件に関しても語っていました。そして、ロマンポルシェの『全裸で書いたラブレター』をかけていました。ああ、「♪ラブレター フロム カナダ〜」から来てるんですね。「カナダ」と「ハダカ」ですかw 私も Men's5の『レッツ・スッパダカー』をここにアップしたかったな。それは YMCA が元ネタの曲ですけどね。