ハノイの日本人

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金村義明 が語る 10・19。

これ面白いですよ。金村さんは伝説の「10・19」のとき、二日酔いで第1試合の7回にやっと川崎球場に来たそうです。これ平日で試合は3時からだったはず。どんだけ寝過ごしてんだよw まあ、ケガをしていたので出場選手ではないんですけど。私は小学生のときに「江夏の21球」で知られる広島との日本シリーズをテレビで観て、近鉄ファンになったんですよ。西本監督が勝負師って感じでかっこよかったんです。それは 1979年ですね。だから、この 1988年のロッテとのダブルヘッダーもよく覚えています。有藤のヤローがねえ… 


◉1988年 伝説の『10・19』激闘の舞台裏(前編)金村義明
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101104-00000301-sportiva-base
『当時オレは近鉄選手会副会長でバリバリのレギュラーを張っていたわけやけど、優勝を賭けたあのロッテとのダブルヘッダーには、知っている人も多いと思うけど出場していないんよ。黄金期だった首位西武をものすごい勢いで追い上げデッドヒートを繰り広げていた8月末、オレは左手首を骨折してしまい、しばらくは捻挫かと思いテーピングでごまかして頑張っていたんやけど、ついに痛みに耐えかねて『10・19』の4日前に戦線離脱をしてしまった……。チーム一丸となって優勝目指して頑張っているときに、オレはなんてツイてないんやと悔しさと情けなさで落ち込んでなあ。あまりのショックで気持ちが抜けてしまって球場に行くことなく自宅に引きこもっていたんや。そしてチームがロッテとの決戦へ向かう前日に電話が掛かってきた。電話の主は、師匠の仰木彬監督やった。「カネ、オマエも明日からの遠征に来い」って言ってくれるやないか。「オマエがいなかったらここまで来れなかった」と。その言葉を聞いたときポロポロ泣けてなあ』