前回、佐々木敦は「データベース消費」という言葉を使わずに渋谷系を説明したと書きました。でも、それは間違いだったようです。『ニッポンの音楽』をもう一度読みなおしたところ、そういう風には書かれていませんでした。そこでは『リスナー型ミュージシャン』という言葉を使って、はっぴいえんど、YMO、渋谷系、小室哲哉、中田ヤスタカを中心にそれらのアーチストを串刺しにして語られています。海外の音楽をニッポンの音楽にどうやって翻訳=移植してきたかというような話です。
- 作者: 佐々木敦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/12/17
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (22件) を見る
◉渋谷系とデータベース消費1〜3
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20160618/1466189435
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20160621/1466466582
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20160626/1466906658
そこで気になるのが、はっぴいえんどとYMOの間には断絶があるけど、それ以降には断絶がないと佐々木さんが考えられていることです。まずYMOが登場した時代背景、ポストパンクのことが説明がされます。パンク以降の音楽です。じゃあ、パンクがロックに与えた影響とはどんなものだったか?
『パンクが齎した(もたらした)、大仰な言い方をするなら音楽史上におけるコペルニクス的転換とは、プレイヤーとして、コンポーザーとして、アレンジャーとして、ひたすら習熟度と完成度と高度さを追求していくことが是である、という考え方に対してのラジカルな異議申し立てでした。』(佐々木敦『ニッポンの音楽』P60)
それはわかる。パンクの衝撃はたしかにあったでしょう。しかし、やはりそれはカウンターなのだから、ある意味それ以前と連続してると言えないでしょうか? 私としては HIPHOPの方が断絶としてより大きいと思うんですよ・・・ だって、音楽を聴くためのレコードを擦って楽器にしてしまうんですから。めちゃくちゃじゃないですか! まあ、それは置いておくとして・・・
はっぴいえんどの時代には、自分たちの好きな海外の音楽を日本語でやるというある意味純粋な技術の追求をしていました。しかし、YMO になるとテクノロジーの導入もあって、コンセプトを練ることに時間がさかれたわけです。このコンセプト主導ってところで、渋谷系と繋がっている。って言うか、佐々木さんはピチカートなんてYMOの模倣でしょくらいに考えている疑惑・・・
じゃあ、YMOにはHIPHOPの影響はなかったんだろうか? YMOのデビューが1978年。HIPHOPの最初のヒット曲 The Sugarhill Gang『Rapper's Delight』は1979年。YMOデビューの方が1年早いんですよ。もちろん、そのヒット以前からHIPHOPは存在してましたけど、YMOがそれらに影響を受けたとは言いづらいわけです。
なるほどねー。小西さん自身がHIPHOPに対して冷たい感じなのも、そういう理由からなのか。いや、しかし・・・だったらピチカート・ファイヴのアルバム『Bellissima!』(1988)、『月面軟着陸』(1990)への酷評とはなんだったのか? どんなアルバムであるのかを誰かにしっかり書いてほしいな。たぶん、それができるのは高橋健太郎さんか、松山晋也さんだと思うんだけど・・・ あっ、今回は「キャラクターで売れてくる国」について書くはずだった。次回に。