ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

渋谷系とデータベース消費6。

うーん、まとまらないままここまで来てしまいました。それでも続けます。前回、YMO時代についてメンバーだった細野晴臣は「キャラクターで売れてくる国」という言葉を使い、当時を振り返ったと紹介しました。佐々木敦著『ニッポンの音楽』には以下のような細野さんの発言も引用されています。


YMOを一つのブランドとして残せるかなという計画もあったんです。YMOというのは三人じゃなくてもよかったわけですよ。マニュアルがあれば誰でも入れるように作ってあって、いろいろな人が入って然るべきだと思っていた。ところが、世の中に出ていけば出ていくほど、キャラクターとして出ていかなくちゃならなくて、三人のキャラクターが固定しちゃって、非常にフラストレーションがたまってしまった。解散寸前のころは、YMOは一つのブランドとして、原点に戻って音楽活動の総称としてYMOブランド、レーベルでもいいんですけれども、やっていく可能性が強いなと実は思っていたんです。』(『THE ENDLESS TALKING 細野晴臣インタビュー集』より)


渋谷系とデータベース消費1〜5
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20160618/1466189435
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20160621/1466466582
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20160626/1466906658
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20160701/1467326435
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20160705/1467684666


要するに、YMOの3人がアイドル化してしまったことがストレスで解散したと細野さんは言ってるんですよね? 音楽よりもキャラクターの方が流通してしまった。日本でミュージシャンが成功するためには、自らをキャラクター化する必要がある。たしかに、そういう面はあるでしょうね。ミュージシャンだけでなく、お笑い芸人、スポーツ選手、政治家ですらそう。キャラクターとして型にはめないと受容できない。それってなんなんでしょう? 渋谷系と呼ばれたミュージシャンを理解するのにも、キャラクターという言葉がポイントだと佐々木さんは書かれているようです。


『解散時点での小山田圭吾小沢健二は、ほとんどアイドルと呼んでもいいような存在になっていました。二人が音楽性とはまた別の次元で魅力的な「キャラクター」を持っていなかったら、おそらくあれほど売れることはなかっただろうし、渋谷系と呼ばれることになるジャンルも、生まれていなかっただろうと思えるのです。』(佐々木敦『ニッポンの音楽』P168)


ピチカート・ファイヴのキャリアが「渋谷系」と接続されるのは、当然ですが、野宮真貴以後のことです。』(佐々木敦『ニッポンの音楽』P193)



野宮真貴以前のメインボーカル田島貴男時代は渋谷系ではなかった。これは渋谷系という言葉が田島時代にはなかったからという意味ではないでしょう。野宮というキャラクターが全面に出てからピチカートは渋谷系になったという意味のようです。そうなんだろうか?



メディア上で展開された渋谷系はそうだったのかもしれません。フリッパーズの2人がアイドル化してなかったら渋谷系という言葉が誕生しなかったというのもそうでしょう。でも、それってYMOが巻き起こした現象を、アイドル3人組としてのYMOに焦点をあてて語ってしまうようなことではないんだろうか?


私が語らなければならないと思う渋谷系は違ったものです。例えば、佐々木さんも触れているサバービア主宰、人気コンピ『free soul』を制作した選曲家の橋本徹渋谷系のアーチストに入ると思います。もっと言えば、オリジナルラブ小沢健二のプロデューサーだった井出靖、ラヴタンバリンズを生んだレコードレーベルの瀧見憲司渋谷系です。本人たちは別に喜ばないでしょうけどw 


King of DiggingことMUROも入ります。ピチカートについても、野宮真貴より小西康陽なんですよ。圧倒的な知識と編集センス。それぞれが持つデータベースの質を競っているようなイメージ。やっぱりデータベース消費の方がしっくりくるんです。これって単に私の感想に過ぎないのだろうか? さらに続く。