本来、自殺のニュースって報道を繰り返すのは良くないんですよね。連鎖を引き起こすので。今日は土居健郎『「甘え」の構造』を読んでました。以前、読んだときはほとんど頭に入らず、天皇制のとこだけが印象に残ってました。でも今回はすらすら入ってきた。いい本ですね。
昨日、18歳未満のアイドルの長時間の接触を禁止すべきじゃないかと書きました。安易に規制を設けろと言うのは良くないんですけど、これ以上問題を放置できないという思いもあります。ですが『「甘え」の構造』を読んでもう一度考える必要があると感じました(考えを変えたわけではない)。例えば、アイドルファンである私は、そのこと自体に罪悪感を感じ、自己否定することで犠牲者と自己同一化します。私自身が犠牲者になったかのごとく、加害者を攻撃するのです。土居は、悪は責められるべきだが、そのような罪悪感は、道徳の基礎となる罪悪感ではなく、甘えに発するものだと言います。
なるほど。しかし、16歳の高校生の甘えを受け止められない、子供のような大人にこそ甘えはある。松本人志は「死んだら負け」と言いますが、クズみたいな大人に囲まれて生きる状態が「勝ち」とも思えない。彼女は周りに相談できる人がいなかった。あなたは何も悪くないと言ってくれる大人がいなかった。死体になったその子に向かって「死んだら負け」と言うことに正しさはあるだろうか? もちろん、これ以上死んでほしくないという思いはあるにしてもね。
悲惨な状況に耐えることで社会は良くなるのだろうか? 子供たちは忍耐力を上げ続けるしかないのか。どんな社会が理想なんだ? そんなことは関係ないと言うのであれば、この『ワイドなショー』という番組自体が害悪なのではないか。タレントの放言は甘えからくるものだとしか思えない。
『「甘え」の構造』には、人間交流を円滑にするため、甘えは欠くべかざるものだと書かれています。アイドルは社会に疲れてやってくるファンを受け入れてくれます。ちょっとくらいの不快な発言も受け流してくれるのです。彼女たちの甘えを受け止めてくれる大人はいないかもしれませんが、彼女たちは大人の甘えを受け止めてくれるのです。アイドルファンは大塚英志の言うように「少女の成長を見守る奇怪な大人」かもしれないですけど、やっぱり、それを生み出す社会に問題がないとも思えない。自分の都合だけで甘えを否定する奴らこそ問題でしょう。