ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

佐々木敦さん、さらにアイドルにハマる。

 

佐々木敦さんと南波一海さんの対談の後編。今回いろいろ私の関心にも関わる話が出ています。まず佐々木さんの「 K-POPをそのまま真似しても仕方ない」という発言。これは確かにそうなんですけど、そもそもメジャーの代表が「成功した物を追いかける」って実際に言ってたりする日本の音楽業界ですから、当然 K-POP の真似はします。でもそれも無理ないと思うのは、ポップシーンにおいて J-POP は遅れてしまったのだから、まずはキャッチアップも当然やるべきでしょう。みんながすべきとは思わないですけど。

 

 

あと、この前の吉田雅史さんたちのゲンロンカフェのイベントに私が切れたのは、イベントのテーマの入り口を丁寧に解説して欲しかったのもそうですが、K-POPサウンドを軽く扱い過ぎではないかと思ったからです。いまの K-POPサウンドは別に K-POP だけに特有の物ではなくて、HIPHOPやハウス、テクノ、それから音響系などを通過して出てきた現在のポップスのサウンドでしょう。と言うことは、次に出てくるサウンドも、このサウンドを前提にして出てくるはず。現在のサウンドに親しんだ世代が新たなサウンドを作っていくからです。違うのかな? もう少し K-POPに対してリスペクトがあっていいと思うけどな。

 

もちろん、もっと変なところから突然変異的に出てくるサウンドもあるでしょう。それはそれで楽しみです。でも K-POP に飛びついた若い世代を観てると、私の考えも間違ってない気がするんです。新宿歌舞伎町から新大久保へ続く道を観ても、かなりカオス感があります。歌舞伎町の怪しさはそのままに、10代、20代の普通の女子がいっぱい歩いてる。ハイジアの前にだっていまだに立ちんぼのおばさんがいるんですよ。その街にあったサウンドが何年か後に登場する気もする。原宿カワイイから新大久保カオティックへとか。女子がカワイイ、かっこいいと思ってる物って K-POP ですよ。私はハロプロも大好きですけど。確かにリルネードのこの曲素晴らしい。チェックしてなかった。

 

 

次に、南波さんが「楽曲派がアイドルソングの進化を止めている」と発言をされています。なるほど。これは心に留めておきたい発言です。しかし、この「懐かしさを呼び起こす装置」というところに、「新しい公共性」みたいな視点を入れると話が違ってくると思うんです。元ネタの存在によって、過去に同じ音楽を聴いてきた私たちが、いまアイドルソングで出会う・・・というような。そこに10年20年の時間の開きがあることで繋がりを感じられる気がするんです。それはカヴァーブームと違うのか?どうなのか。そこには○○ちゃんが好きだけで終わらないアイドルの可能性がある気もするんです。これは私が「孤独と暴走」をテーマに考えてるからで、普通の人には「繋がり?けっ!!」って感じなのかもな。またちゃんと書きます。