ハノイの日本人

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宮台真司「記憶なき幸福は肯定されるべきか?」を語る。

NewsPicks で行われた宮台真司さんのインタビュー。非常に面白かったので、文字起こししようと思いつつ、ここまで放置していました。なんとキーワードは「記憶」です。イヤホンズ『記憶』を2020年の No.1ソングに選んだ私としてもシンクロを感じられてよかったです。人々が良きものを記憶しなくなった結果として、ひどい格差社会になっても助け合おうとすらしない世の中になってしまった。自意識の問題で、助けて欲しいとも言えない状況では、弱者の連帯も望めないと宮台さんは語る。その後、加速主義の話から「記憶なき幸せは肯定できるのか?」という話がされています。全体的に面白かったのですが、長くなるので宮台さんの発言の一部だけを文字化しておきます。

 

 

波頭:(前略、ここ30年の世界経済が成長してきたという説明後)思想的にはレフトから、ライトと言うよりかは保守への転換が来て。それってよく考えてみたら、保守が大事にするものって文化とか歴史とか、あるいは思想的にはナショナリズムに近かったりする話と、グローバリズム、効率、徹底的な自由って、根っこのところで矛盾してるんだよね。でも矛盾を続けることによって、何が見えなくなっているか? それは格差の問題なんだよ。格差が広がるのは自由主義的にしょうがないっていう風に。本当は家族だったり文化だったり、コミュニティだったりを大事にする保守主義だったら、救ってあげなきゃ。でも救おうとすると「レフトだ」って否定されて。その挙句、資本だけが(手を広げて)こんなに増大して。権力とお金とが一体化した。

宮台:全体はひどく面倒臭く結びついているんです。まず保守主義が消えたのは1980年代なんですね。僕は、映画批評家、音楽批評家、劇評家でもあるんですけど、そういう表現を観ててもわかるんです。間違いなく保守主義は1980年代にネオリベに変わったんです。どう違うかって言うと、波頭さんが仰ったように、保守主義って記憶の思想なんです。記憶の中にある良きものを保つんです。僕はそれを社会保守と呼んでるんですけど。ネオリベって言うのは記憶なき思想なんですよ。

波頭:そうだね。

宮台:だから、記憶の中に良きものはもうないの。それは彼らが悪いのではなくて、記憶の中にある良きものを、ある種の共有、シェアされるような形で持たなくなってしまった。これはさっきのマックスウェーバー的な意味での「パンシステマイゼーション」が進んだからなんですよね。そうすると、今の若い人たちみたいに「友達つくるにはどうしたらいんでしょう?」。聞いたときに絶句したんですよね。「困ってる人を助けたら、自動的にもうなってるじゃん! なんでそんなこともわかんねーの?」。そういう人たちがもう若い人の8割、9割と考えていいんです。

佐々木:うん。

宮台:でそういう人たちって、当たり前だけど、保守主義を名乗ろうにも、コンサーブするべきコモンズとか、いわゆる良きものを知らないんだもの。そうなると「勝ち組になるのはいいなあ」とか「負け組になるのは嫌だな」とか。そういう浅ましくさもしい根性の中だけで・・・僕の言葉で言うと、未来に閉ざされていて、その鉄の檻の中で、死ぬまで孤独に戦えよ!、そういう奴らばかりになっているのが現実なんですね。

 

(中略)

 

宮台:(前略)ローザルクセンブルグは、都市の矛盾を最大化させるために、資本主義を加速させろと言っている。それはマルクスのメッセージにある一部分を取り出して強調してるんだけど。「徹底的にダメになっちまえ!」という思考なんです。僕もその影響を受けているから「どうせダメになるなら、徹底的にダメにならなきゃダメだ。だから安倍政権、4期目あればいいな」ってずっと言ってたし。菅政権誕生を心から喜んだんですよ。この思考って、アメリカの加速主義って言われる中で、先取りされていて。そのことが実はディストピアの告知になっている、そのことを理解していただきたいんです。

波頭:うん。

宮台:つまり、茹でガエルにならないためには、崩壊が加速した方がいいんです。しかし、加速した後に、どういった社会になるのかってとこで分岐があってね。分岐の片方をブーストしているテクノロジストたちがいるんです。典型的なのはピーター・ティール(PayPal 創業者)。(一同笑い)

宮台:ご存知のようにポリネシアに人工洋上国家をいま作りつつある人だけども。彼は元々社会変革が嫌いなんです。もっと言うと、彼は人間は基本的にクズだと思ってるんですね。クズが作った法律や制度によって、社会がよくなるはずがない。ある意味で、石原莞爾北一輝にも通じる面があるんだけど。

波頭:ああ、そうだね。

宮台:実はその後が面白くて、制度による社会変革は無効であるが、そこを技術による社会変革によって埋めるのである。だから制度によって人々が幸せになることはない。あっ、この人は主意主義かと思うと、そこに主知主義的なテクノロジーが出てきて、ドラッグとサイバースペースさえあれば、脳内物質のコントロールで、人はいくらでも幸せになる。再配分によって物が豊かになり、蓄財の享楽や散財の享楽、これは脳内物質の問題だから。再配分なんてなくたって、それを促す政府なんてなくたって、ドラッグとゲームがあれば大丈夫でしょ、みたいに言う。これは本当なんですよ。本当というのは、実際に我々の脳内の快楽を見ると、そういう構造があるんだけど。そこから先がよく考えるべき問題でね、オウム真理教のときに、朝生で言ったと思うけどね。長い修行を経て、法悦、ニルヴァーナに到達するのと、電極と LSD によって「法悦」に達するのと、これは同じことなの?って問題。

佐々木:うんうん。

宮台:修行には記憶がつきものでしょ? あるいは記憶によって裏打ちさえた実感が伴うわけだけども。脳内物質のコントロールは記憶に関係ないんだよね。だから、我々が記憶と無関係に幸せになって良いのかというのは、人倫上の本当に大問題なんですね。

波頭:それで記憶って単語をキーワードにされてたんだね。わかった。

宮台:そうです。そうです。なので、放って置くとテクノロジストたちは本当に頭がいいので。いま、プラットフォーマーもそれなりにヘゲモニーを持っているという状況では、本当にピーター・ティール的な社会観、世界観に基づいて、我々は今度はテクノロジーの奴隷になる。そういう状態はほんの間近に迫っている可能性もあるんですね。

佐々木:うん。

宮台:これはもっと言うと、幸せ、不幸せで言うとね、「佐々木さんが不幸せなのは、社会が悪いからじゃなくて、飲んでる薬が悪いんだよ。やってるゲームが悪いんだよ」。

佐々木:(笑いながら)そうですね。

宮台:そういう風に心理学化されてしまうんですよ。

 

私は「加速主義って楽観的なのでは?」と考えていました。やっぱりディストピアなんですね。茹でガエル的に、ゆっくり悪化することで、死ぬまで気づかないのも問題ですが、蛙のように熱いと言って飛び出すとも限らない。落ちるとこまで落ちても、それに反発する人は少ないのでは?と思っています。だからと言って、それに変わる方法があるわけでもないのですが。難しいですね。「意味」と「強度」やっぱり両方必要なんですよね?