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作詞家 阿久悠と スター誕生! その4「山口百恵の変身」

前回、ももクロきゃりーぱみゅぱみゅ は「非日常性のエンターテイメント」路線の後継者なのか?という文章を書きました。そのあたりの検証をする前に、もう少し『スター誕生』の時代を見たいと思います。山本リンダフィンガー5という大成功例がありながら、ピンクレディーが誕生するまで、阿久悠はその路線を『スター誕生』出身の歌手たちに採用しませんでした。しかし、山口百恵については、阿久が歌詞を書いていないものの、その路線同様のものが採用されています。



◉作詞家 阿久悠と スター誕生! その3「非日常性のエンターテイメント」
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20130527/1369659649



山口百恵、主要シングルリスト
1枚目『としごろ-人にめざめる14才-』(1973.5)作詞:千家和也、作曲&編曲:都倉俊一 
 *映画『としごろ』主題歌
2枚目『青い果実』(1973.9)作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二
3枚目『禁じられた遊び』(1973.11)作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二
4枚目『春風のいたずら』(1974.3)作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二
5枚目『ひと夏の経験』(1974.6)作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二
7枚目『冬の色』(1974.12)作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二
 *映画『伊豆の踊り子』主題歌
8枚目『湖の決心』(1975.3)作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:森岡賢一郎
9枚目『夏ひらく青春』(1975.6)作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:穂口雄右
10枚目『ありがとう あなた』(1975.9)作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二
 *ドラマ『赤い疑惑』主題歌
11枚目『山鳩』(1975.12)作詞:千家和也、作曲:三木たかし、編曲:荻田光雄
 *映画『絶唱』主題歌
12枚目『赤い運命』(1975.12)作詞:千家和也、作曲:三木たかし、編曲:高田弘
 *ドラマ『赤い運命』主題歌
13枚目『横須賀ストーリー』(1976.6)作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:荻田光雄
15枚目『赤い衝撃』(1976.11)作詞:千家和也、作曲:佐瀬寿一、編曲:馬飼野康二
 *ドラマ『赤い衝撃』主題歌
18枚目『イミテーション・ゴールド』(1977.7)作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:荻田光雄
19枚目『秋桜』(1977.10)作詞&作曲:さだまさし、編曲:荻田光雄
20枚目『赤い絆(レッドセンセーション)』(1977.12)作詞:松本隆、作曲:平尾昌晃、編曲:川口真
 *ドラマ『赤い絆』主題歌
21枚目『乙女座 宮』(1978.2)作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:荻田光雄
22枚目『プレイバックPart2』(1978.5)作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:荻田光雄
24枚目『いい日旅立ち』(1978.11)作詞&作曲:谷村新司、編曲:川口真
27枚目『しなやかに歌って』(1979.9)作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:川口真
28枚目『愛染橋』(1979.12)作詞:松本隆、作曲:堀内孝雄、編曲:荻田光雄
30枚目『ロックンロール・ウィドウ』(1980.5)作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:荻田光雄
31枚目『さよならの向う側』(1980.8)作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:荻田光雄


阿久悠山口百恵に歌詞を書くことを強く望んでいたものの、ついにそのチャンスは巡ってきませんでした。その理由としては、『スター誕生』の審査で「ドラマの妹役ならなれる」という自分の発言が、山口の自負心を傷つけたのではないかと推測しています。しかし、阿久も彼女のことを評価していなかったわけではありません。以下のように別格のスターとして認めていたのです。


 ⇒ぼくらは、アイドルとは、エルビス・プレスリーであり、長嶋茂雄であり、人気、実力の他に説明し難いカリスマ性を備えている人がそう呼ばれる、と信じていた世代であるから、「スター誕生」から次々と巣立って行った人気の少女歌手たちをアイドルと呼んだことはなかった。(P136)

 ⇒「スター誕生」からは実に数多くの人気歌手が誕生し、看板に偽りのないところを示したが、アイドルと呼ぶとなると本人の備えた素質と雰囲気において山口百恵、本人よりも現象そのものを捉えてピンクレディーと、この二組ではなかったか。アイドルとはそういうものである。(P137)


CBSソニーのプロデューサー酒井政利山口百恵のデビューにあたって、南沙織郷ひろみと同様に「私小説路線」を採用しました。タレントの成長と共に歌詞に登場する人物も成長するという手法です。特に、前年にデビューした 郷ひろみの「少年から大人へ」のストーリーとの共通点が多く認められます。郷はデビュー曲『男の子女の子』で異性との出会いを歌い、『よろしく哀愁』でセックスを経験し大人へと脱皮しています。


山口百恵の『としごろ-人にめざめる14才-』というデビュー曲は、後に「青い性路線」と呼ばれる物語のスタート、異性との出会いが書かれています。次のシングル『青い果実』の歌詞「♪ あなたが望むなら 私何をされてもいいわ」が強烈なインパクトを残したので、この曲から「青い性路線」がスタートしたと語られることが多いようです。でも、その路線は異性にめざめたデビュー曲からあったのです。そして、8枚目のシングル『湖の決心』で覚悟を決め、9枚目『夏ひらく青春』でセックスを経験するという物語になっています。



大人になってからは、一つの柱として TBSドラマの赤いシリーズ主題歌が制作されています。さらに、13枚目のシングル『横須賀ストーリー』(1976年)からは 阿木、宇崎、荻田のトリオによる、1話完結物語のようなシングル群が送り出されるのでした。 阿木、宇崎のコンビは、1975年に『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』を大ヒットさせ、そこから山口への作品提供を中心にして一気に売れっ子作家へ上り詰めます。


この強力なトリオの作品を得て、山口百恵は大人の歌手へのイメージ・チェンジに成功します。彼女は『スター誕生』出身でありながら、阿久悠の力を借りずに大スターに変身してみせたのです。この姿を見て、阿久 も彼女に歌詞を書いてみたいと思ったのでした。しかし、実はこのとき 阿久は強烈なライバルを準備していたのです。もちろん、そのときは 山口百恵に対抗出来るような大きな存在になるとは考えもしませんでしたが。



阿久悠=都倉俊一のコンビによるピンクレディーの登場です。大成功をおさめた 山口百恵横須賀ストーリー』の二ヶ月後、ピンクレディーのデビュー曲『ペッパー警部』は発売されているのです。それはアイドルが輝いた 70年代を締めくくる2大プロデューサーの頂上決戦でした。 阿久悠 VS 酒井政利ピンクレディー山口百恵というまったく違うタイプのアイドルで競い合うことになったのです。


 ⇒山口百恵も変装した。ピンクレディーも変装した。山口百恵のブレーンは、変装と悟られぬ変装をし、ピンクレディーは、変装を宣言して変装した。(P220)



タイプは違えど、共に変装をほどこしたアイドル。阿久悠山口百恵の作詞依頼が来なかったのも、ある意味当然と言えたのです。しかし、阿久は 1977年に沢田研二勝手にしやがれ』で、1978年には ピンクレディー『UFO』でレコード大賞を連続受賞。山口百恵は『秋桜』(1977年)、『プレイバックPart2』(1978年)という強力な曲を持ちながらも敗れています。そして、1979年にはライブ中に「私が好きな人は、三浦友和さんです」と宣言。次の年に引退。大きな存在感を残しつつも、無冠に終わるのでした。(つづく)