ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

ガンバのサポーターがナチス風のフラッグを掲げた件について。

先日の大阪ダービー素晴らしい熱戦でした。しかし、一方で、ガンバ・サポがナチス親衛隊に似た旗を掲げた事件が起きています。このグループは既に解散を表明。まあでも、この種の事件は頻繁に起こっていますよね? 旭日旗とかも含めて。TBSラジオ荒川強啓 デイ・キャッチ!』で社会学者の宮台真司さんが、なぜ日本でそのような事件が多発するのかを話されました。日本にはナショナリズムがないからだと宮台さんは言われているのです。文字化してみました。



宮台真司:日本以外の先進国では確信的なリビジョニストがやるわけですね。極右がね。日本はそうではない人たちがぼんやりそういうことをやって問題になるわけです。欅坂のときにも話題にしましたよね。
片桐千晶:制服がね。
宮台:ねえ。あれはたぶんデザイナーとしてはナチスを真似たんじゃなくて、アニメの一部の制服を真似たんだろうと話したのを覚えておられるかもしれません。それくらい問題意識が低いんですね。で、この問題意識の例外的な低さはどこに起因するかと言うと、答えは簡単です。それは日本にナショナリズムがないからです。
荒川強啓:ほお?
宮台:日本にはナショナリズムがないんです。それは日韓ワールドカップ・サッカーが行われたとき、もう15年以上も前になるけど。読売新聞からナショナリズムの危険について話してくれと言われたんで、サッカーを観る限り日本ではナショナリズムの危険はまったくないと書いたんです。それは意外かもしれませんけど、要はこういうことです。サッカーというのは、非常に理不尽なゲームなんです。例えば、ボール支配率が7割を超えていても負けるなんてことがざらにあるんですね。
荒川:ふん、ふん。
宮台:よく言われるけど、ゴールに入れば3点、ポストに当たれば2点、サイドネットに当たれば1点とかするとね、だいたい観て、優勢な方が優勢なりの得点を獲得するんだけど、そういう意味ではサッカーは理不尽と不条理に満ちたスポーツなんですね。サッカーのファンやマニアはこの理不尽と不条理の歴史を記憶して行くということなんです。
荒川:ふん。
宮台:で、理不尽と不条理の歴史を記憶するというのは、ナショナリズムの原則とまったく同じ展開なんです。ところが、日本人にとってワールドカップというのはしょせん都市での祝祭のネタ。歴史ではなく祭りなんです。日本人は記憶しない。多くの場合。それは日本人が歴史を記憶しないのと基本的には同じ。日本人が記憶するのは時間ではなくて、空間的な空気だよね! 
荒川:はあー。
宮台:あるいは共通前提がシェアできたら「お祭りするぞ!」みたいな感じです。しょせんその程度なんでナショナリズムは機能しない。ナショナリズムというのは歴史の不条理を記憶し、刻む者たちの共同性なんで、入れ替え不可能なんです。他の人間たちは入ったりできないんだよ。その分、強い力を持つ。日本の場合にはお祭り的な動員。簡単に言うと、スポーツの動員と同じような原理しか働かない。
荒川:ふん、ふん。
宮台:たしか、ワールドカップの時期なんですけど、『ここが変だよ日本人』という、たけしさんが司会してたTBS系の番組がありました。そこで軍服マニアがナチス・ドイツの制服を着ていたことから、出演していたフランス人男性が激怒して、ドイツ人女性が援護するというね、結構有名な事件がありましたよね。そのときに日本人の制服マニアたちは、カッコイイからやってるだけで、ナチスを翼賛するつもりはまったくないという、本当にとぼけたとんちんかんなことを言ってるわけ。
荒川:ええ。
宮台:でもそれは、本当に日本的なことだよね。悪意はないんだ。でもしかし、たけしさんはここで気遣いと言ってたけどもね、日本以外の国は理不尽と不条理の歴史を共有して、時間を共有することで、ネーション、ステイト、つまり国民共同体をベースにした国家をつくっているということがあるわけだから。そういう連中から観ると、理不尽と不条理のシンボルがあるマークだったりすることがある。そういう意味で言うと、僕たちがいかに特殊な国づくりをしているかということをよく理解する必要があるわけよ。それは籠池問題でもあるわけね。コスプレ右翼がまるで愛国者のように振る舞える、非常にしょぼい国なんです。
荒川:うーん。
宮台:そういう意味で言うと、悪気はないのはわかるが、日本以外の国は理不尽と不条理の歴史を共有する人たちなんだぞということを、はっきりとわかる必要がある。逆に言うと、こういうとぼけた連中がいっぱいいると言うことは、日本にはナショナリズムの危険はないということです。せいぜいあるのはお祭りの危険。
荒川:(このような事件が度々起こるのは)ナショナリズムの危険がないという証。
宮台:まあ証ですね。パーフェクトな証ですね。
荒川:これからもそれは芽生えて来ないですか?
宮台:来ませんね。それはなぜかと言うと、例えば、歴史的なコミットメントが日本にもないわけではないけど。地域をずっとフィールドワークしたことがあるけど、江戸時代の藩のレベルになるわけ。例えば、青森県でも南部とか津軽とか弘前に分かれていて、小川を境にして言葉がまったく違うなんてことがあるわけだけど。で、まさに江戸時代の藩に相当するユニットで怨みを共有してる訳ですよ。会津は長州を今でも恨んでいるよね?
荒川:ふん、ふん。
宮台:飲み会になったら絶えずその話題になったりする。自分には何にも記憶がないくせいに。でも、その部分だけを取れば非常にナショナリズムっぽい。
荒川:ぽいよね。
宮台:本当にあった歴史を共有するわけだから。あるいは江川達也さんが『日露戦争物語』を描いたときに、面白いことを描いてるよね。いろんな藩のヤツが集まってるから、じいさん、あるいは父ちゃんの敵を取る為にお前を今すぐ殺したいけど、でもそれをやると列強、欧米のパワーズにやられちゃうから、ここは踏みとどまって一緒に戦うわ、って感じなんですよね。
荒川:うん。
宮台:つまり、そのくらいが元々の国。国っていうのはもともと藩の意味だったけども。明治時代に藩を日本に拡張するという用い方をして、それが無理だと岩倉使節団系がわかっていたから、天皇を持ち出したという歴史的経緯があるでしょ。
荒川:天皇を持ち出した。それを中心として日本を一つにするというナショナリズムというのは・・・
宮台:それはナショナリズムではないよね。基本的にはね。
荒川:ないんだ。ああ・・・
宮台:歴史を共有していないし、理不尽も不条理も共有していなくて、空気を共有してるわけ。空気というのは、天皇陛下に対するある種の畏敬、恐れ、あるいは尊崇・・・ ある種の感情ですよね。ですから、改元して元号を変えると、空気が一変。あるいは禊。簡単に言うと、古い歴史の悪い部分は忘れちゃう。天皇制というのは忘却の装置なんです。
荒川:なるほど。と言うことは、ナチスから何かを学ぶということは日本にはないんだ?
宮台:元々ないですね。ナチスというのは理性の権化でしょ? 民族の優秀性を科学を通じて証明しようとした。日本ではそういう向きはゼロだったよね。
荒川:なるほど。